芝居小屋


 その部屋には胸が詰まるような絶望が漂っていた。そこに集まった3人は、それぞれ胸の内にある感情をそのまま顔に貼り付けて、ただ一点を見つめている。彼らの視線の先には、固く目を閉じた少女がいた。彼女の肌はすっかり青白くなっており、教台に背を預けるようにもたれかかっている。胸のあたりで槍に一突きに貫かれて、身にまとっていた柔らかそうなドレスは血をたっぷり染み込ませて重くなっていた。

 

 「……嘘だ」

 1人の騎士が掠れた声で呟き、少女にすがりついた。

 「フィオ様……フィオ様! 返事をしてください!」

 騎士はすっかり冷え切っていた少女の体を抱え起こそうとした。しかし少女の体は騎士の腕からこぼれ落ちるように崩れる。 抱えきれなかった少女の腕がだらりと垂れ下がるのを見て、それでもなお、騎士は目の前の光景を受け入れることが出来なかった。

 「フィオ様、どうか目を開けてください! いつもみたいに、私をからかったのだとおっしゃってください……!!」

 フランシス・ノクティスは必死に少女に呼びかけた。しかしどれだけ声を上げても、少女が目を開けることはなかった。それどころか、冷たくなった彼女の肌や血の感触が、身につけていた金属の甲冑を通してじわじわと伝わってくるような気さえした。認めたくない現実がゆっくりと頭の中に入り込んでくるのを、フランシスにはどうすることも出来なかった。

 「どうして……」

 フランシスは自分に問いかけた。

 この光景はいったい何だ? 彼女とは昨日、笑顔で別れたばかりだった。それなのにどうして、彼女は変わり果てた姿でここにいるのだろう。

 

 ――ねえ、フランシス。

 昨日に聞いた少女の柔らかい声が、フランシスの頭の中で反響していた。彼女と最後に会ったとき、フランシスはそれが永遠の別れになることを覚悟していた。けれどそれは、こんな形の別れではなかった。

 彼女はフランシスには手の届かないところで生きて、別の人生を歩んでいくはずだった。そして彼女自身も、その覚悟をしていたはずだったのに。

第1話 ある物語のプロローグ

「北の集落が砂に飲まれたそうだ」

  その噂を伝え聞いたのは、ほんの数日前のことだった。

  フランシスがその話を聞いたのは、騎士の任務を終えて、いつものように食堂に立ち寄ったときのことだ。

 「それは本当か?」

 「ああ。住民はみな行方不明だと。おそらくもう、魔物の腹の中だろうさ」

  話をしていたのは、フランシスが言葉を交わしたことすらない騎士の青年たちだった。

 

  兵舎にある食堂は食事を取るだけでなく交流のための場所でもあって、たいていの時間は休暇中の騎士や待機命令を受けている騎士たちで賑わっていた。情報をやりとりする様子は普段から見慣れた光景で、その話題は任務のことから政治、国外情勢、果てにはいい酒と姉ちゃんを拝めるのはどの店か、など様々だった。

  フランシスが耳にした会話も、普段ならよくある話題の1つとして、気に留めることはしなかっただろう。しかし続く言葉を聞いて、思わず足が止まったのだ。

「国がこんなことになってるのに、姫様はどういうつもりなんだ?」

  姫様、と呼ばれるような人はこの国に一人しかいない。この国を統治する王ハディス・グレイノールの娘、フィオだ。

 「療養中だという話だが……本当だと思うか?」

 「まさか。療養中といったって、病気というわけではないだろう。単なるワガママ姫に違いないさ。いったい何時まで引き篭もって、公務を果たさないつもりなんだか」

  それを聞いて、フランシスは拳を握りしめた。

 (勝手なことを……)

 そんなフランシスの心情など知るはずもなく、騎士たちは話を続ける。

 「このままでは魔物の被害は増える一方だぞ。ガーベラ妃の時代はこんなことになる前に“浄化の儀式”を行っていたというのに」

 「あとを継いだのがあの姫様じゃ、王妃様も浮かばれまい」

  フランシスはその場を離れようとした。フィオのことをよく知っているフランシスにとっては、彼女の悪い噂は聞くに堪えない。

 「その“浄化の儀式”だが、ロス殿下が動いているという話だ」

  フランシスは再び足を止めた。彼らの話が意外な方向に転がっていくので、訝しく思ったのだ。

 (ロス殿下?)

  その人の名前くらいはフランシスも知っていた。しかしどうしてそんな奇妙な噂になっているのか、見当もつかない。

 「本当か?」

「分からん。だが殿下のことだ。きっと何とかしてくださるに違いない」

 ロスというのはフィオの兄、つまりこの国の王子であり、ゆくゆくは国を治めることになる人物だ。しかしフランシスは、2人の関係が決して穏やかなものではないことを知っている。 いったい彼が何をしようというのだろうか。偶然に聞いてしまったその話をそのままにしてはいけないような気がして、フランシスはフィオに会いに行こうと決めた。

 

 「先輩、珍しいっすね」

  食堂を出たところで不意に呼びかけられて、フランシスはやって来た大柄な青年の姿に気づいた。

 「うす。飯なら一緒に食いましょうよ」

  その青年は、先ほどまで任務で顔を合わせていたうちの一人だった。彼は今年騎士団に入団したばかりの新顔で、名はジェイク・カーテインという。少しばかり馴れ馴れしいところはあるが、彼の印象を悪く言う者はそういない。ガタイは良いが威圧感を振り回すような人物ではないし、切りそろえられた短髪とすっきりした顔立ちは爽やかだ。笑顔には人の好さが滲んでいて、彼の性格をよく表している。 フランシスは他人から距離を置いていることもあって、何かと騎士団の中では浮いていた。しかしこのジェイクだけは、そんなことはお構いなしに気安く話しかけてくる。

 「悪い、食事は部屋でとるつもりなんだ」

  フランシスがそう言うと、青年は気を悪くする様子でもなくただ快活に笑った。

 「言われてみれば、そのなりじゃ食えないっすね。おかげで遠目からでもよく分かりますけど」

  彼が言っているのはフランシスが身につけている鎧のことだ。足の先から頭まで、全身を覆うフルフェイス。フランシスが騎士団の中で浮いているのは、いつもこの格好でいるせいもあるだろう。

 「食堂にまでその鎧で来る人なんて、先輩くらいっすよ。いつ脱いでるんすか? 自分なんか、蒸れて仕方がないから任務が終わったら速攻で脱ぎますよ。そういや、ローレンも鎧をつけるようになってから生え際が後退したって言ってますしね。あ、ローレンってのは自分の同期なんすけど」

 次から次へと、彼の口はよく回る。普段はそれを感心していたものだが、今のフランシスは先ほどの騎士たちの会話が頭に引っかかっていた。

 「すまないがジェイク、用事が出来たから行くよ」

 「え、でも先輩、まだ飯食ってないんすよね? 何も買っていかないんすか?」

「急いでるから。じゃあな」

  不思議そうにする彼を置いて、フランシスは食堂を後にした。

 

  騎士たちの噂が、本当にただの噂なら良いのだ。しかしフランシスには漠然とした予感があった。彼女の周囲で何かが動き始めているのかもしれない。そう思うと、一刻も早く彼女に会いたくなった。



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